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名称 国英神社の大イチョウ (くにふさじんじゃのおおいちょう) 名称の典拠 現地の案内板(注1) 樹種 イチョウ 樹高 30m(注2) 目通り幹囲 5.5m(注3) 推定樹齢 480年(注2) 所在地の地名 鳥取県鳥取市河原町片山(坂根)(注4) 〃 3次メッシュコード 5334−01−87 〃 緯度・経度 北緯35度24分17.0秒 東経134度12分55.7秒 鳥取市指定天然記念物(1980年10月1日指定) 撮影年月日 2020年10月19日 注2)上記案内板による 注3)「今日もおでかけ」ブログによる 注4)2004年11月1日、鳥取市に合併。旧行政区は八頭郡河原町 JR因美線河原(かわはら)駅の北から北西にかけて霊石山(れいせきざん)の山塊が聳える。(西端のピークが霊石山と呼ばれ標高326m。中央付近のピークが最も高く、標高は334m) 霊石山の三方を取り巻くように川が流れる。 霊石山の南麓で、西進する八東川(はっとうがわ)に私都川(きさいちがわ)が合流し、山裾に沿って向きを変えた八東川は、西麓、出合橋(であいばし)の下で、今度は北進する本流の千代川(せんだいがわ)に合流する。 左図のイチョウが立つ国英神社は南麓、八東川と私都川の合流点近くに鎮座。八頭町との市町界まで100mほどのところ。 鳥取市公式ウェブサイト中、国英地区公民館作成のページその他によると、貞観18年(876)、国司在原行平(ありわらのゆきひら、在原業平の異母兄)が山城国より神功皇后、応神天皇、武内宿弥を祭神として勧請したことに始まる。天正9年(1581)、羽柴秀吉の中国攻めで社殿焼失、宮畑の旧地から現在地に遷座。もとは八幡宮と称していたが、明治元年(1868)に保食神(うけもちのかみ)を合祀して国英神社と改称。およそそのような歴史を持つようだ。 イチョウは天正の遷座以前からここに立っていたと考えられているらしい。 単幹で直線的に立ち上がり、途中まで枝分かれしない。上空には切られた大枝の痕も見えるが、気根の発達もなく、全体に若々しい姿だ。 実際の樹齢はもっと若いのではないだろうか。(素人の勝手な推測) |
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