ページタイトル:雲八幡宮のイチョウ 当サイトのシンボル

画像:雲八幡宮のイチョウ


画像:雲八幡宮のイチョウ(幹と並ぶ)
名称 雲八幡宮のイチョウ (くもはちまんぐうのいちょう)
名称の典拠 なし
樹種 イチョウ
樹高 30m(注1)
目通り幹囲 5.7m(注1)
推定樹齢 200〜299年(注1)
所在地の地名 大分県中津市耶馬渓町宮園(注2)
 〃 3次メッシュコード 5031−10−07
 〃 緯度・経度 北緯33度25分32.7秒
           東経131度05分25.4秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2010年3月21日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注2)2005年3月1日、中津市に合併。旧行政区は下毛郡耶馬渓町





 雲八幡神社が正式名のようだが、地元では雲八幡宮の名で親しまれている。鎮座地は山国川左岸、傘山(標高395.5m)南麓。
 案内板によれば、境内を流れる小川(「旭川」)を数百メートル下ったところに、「雲石」と呼ばれる磐座(いわくら)がある。そこが神社の旧地で、大宝3年(703)この磐座に神が出現したのが雲八幡の起源とされている。
 現在地に社殿が築かれたのは天延元年(973)。造営したのは都から当地に配流となった少納言清原正高なる人物と伝えられている。以来、たびたび領主は代わったが、その都度、新たに崇敬を受けてきたようだ。
 元禄11年(1698)からは天領となるが、その頃から奉納されるようになった「宮園楽」が、中津市から無形民俗文化財指定を受けている。
 神社の公式WEBサイトによると、その内容は、およそ次のようなものだ。
 源平合戦に敗れた平家の人々は、散り散りになって各地に逃れたものの、追手に次々と討たれた。死んだ落人たちの怨念は河童(かっぱ)と化して田畑を荒らし、人や牛を川に引きずり込むなどの災いをなした。
 このお祭りは、河童となった落人たちの霊を慰めるために始まった。田楽に登場する大団扇(おおうちわ)は、河童に涼風を送って慰めるため。やがて河童は人々に悪さをしなくなり、神通力によって五穀豊穣、無病息災などの霊験を示してくれるようになったということである。(参道の途中には狛犬代わりの河童像もある)
 八幡神社は源氏と関係の深い神社である。時代が違うとはいえ、平家の遺恨を宿す河童が、征伐されるのではなく、慰められるというのは興味深い。徳川の世に人々が平和を感じていたからであろう。
 神社の歴史にイチョウは登場しないようだが、参道脇のイチョウがすばらしい。単幹で、なかなか立派な姿をしている。根張りも力強い。
 根元付近の幹には空洞がありそうだ。しかし、樹勢は悪くない。
 雌株の大イチョウである。
 
ボタン:大分県の巨木リストに戻る ボタン:トップページに戻る