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画像:伊佐沢の久保ザクラ(全景) 名称 伊佐沢の久保ザクラ
    (いさざわのくぼざくら)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 エドヒガン
樹高 16m(注2)
目通り幹囲 9.0m(注2)
推定樹齢 1200年(注3)
所在地の地名 山形県長井市上伊佐沢字峰屋敷
 
〃 3次メッシュコード
     5740−10−05
 
〃 緯度・経度
     北緯38度05分38.0秒
     東経140度04分01.2秒
国指定天然記念物(1924年12月9日指定。昭和25年8月29日再指定)
撮影年月日 2005年4月30日
画像:伊佐沢の久保ザクラ 注1)1993年3月に文化庁、山形県教育委員会、長井市教育委員会が連名で設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注3)現地の案内板による





 伊佐沢小学校のグラウンド脇に立っている。
 この地はもと、窪と称したので、「久保ザクラ」といわれるようになったらしいが、それ以外に、「四反桜」「お玉桜」の名も持っている。以下に由来を記す。

 「お玉桜」(1):征夷大将軍坂上田村麻呂が奥羽平定に出向いた際、当地の娘お玉と、互いに慕い合う仲となった。しかし、帰国した田村麻呂のところには、お玉の死の知らせが届いた。田村麻呂はお玉を偲び、サクラを送って植えさせた。それがこの桜だ。(伝承樹齢はこれに基づく)
 「お玉桜」(2):戦国時代、伊達家家臣桑島将監が先立たれた愛妻(娘ともいう)お玉の墓に植えたのがこの桜だ。ここは桑島将監の館跡である。
 「四反桜」:約150年前の天保・弘化の頃は、枝張りが4反歩(約63m四方)にも及ぶ大樹だった。

 根回りの太さを見れば、確かに、どのような伝承でも受入れることができる巨木だった時代があるに違いない。枝張り4反歩も、あながち誇張でなかったのかも知れない。
 
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