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名称 山の神のムクノキ (やまのかみのむくのき) 名称の典拠 「滋賀の巨木めぐり」(注1) 樹種 ムクノキ 樹高 29m(注2) 目通り幹囲 5.7m(注2) 推定樹齢 600年(伝1500年)(注2) 所在地の地名 滋賀県東近江市小八木町(注3) 〃 3次メッシュコード 5236−52−71 〃 緯度・経度 北緯35度09分08.4秒 東経136度15分34.8秒 天然記念物指定 なし 撮影年月日 2022年10月12日 注2)保護樹木に措定されたことを機に設置された案内板による 注3)2005年2月11日、近隣の1市4町が合併して東近江市誕生。旧行政区は愛知(えち)郡湖東町 2022年の滋賀県巨木探訪旅行は甲良町池寺のヒイラギに始まり、このムクノキが2番目。 両者には似ている点が多々ある。 まず、区画整理された水田の海に浮かぶ小島のような小さな森の中の木であること。いずれの森も小公園のように整備され、外部からの来訪者を温かく受け入れてくれること。そして、一方は田畑の神であり他方は山の神であるが、いずれも樹木を通して神と向き合っていること等である。 「神」の概念は多様だ。キリスト教の神と日本の神は違うし、日本の神でも、大和朝廷以来の神話の神と昔から庶民の心の中にあり続けた神は違う。お伊勢さんだろうが、白山様だろうが道祖神だろうが、お参りするときの心の中が同じであることがよい証拠であろう。お参りする相手がお地蔵さんであっても観音様であってもそれは同じ。また、もし科学者が「神」という語を用いたとしても、その「神」は宗教者が言う「神」とは異なるものであろう。 山神や野神は、神の体系など必要の無い自然発生的な神だと思う。ヒトは食べるために動物を殺し、植物を採取しなければならない。住居や衣服のために殺したり採取したりすることもあるだろう。しかし、取り尽くしてしまって生活が成り行かなることは無い。何者かが動物に子供を産ませ、植物を新たに芽吹かせてくれるからである。その何者かを山神と呼び、野神と呼んで、感謝し、また機嫌を損ねることを恐れたのだと私は思う。各所に野神が見られる滋賀県には、その素朴な心が近年まで続いていたのではないだろうか。 ちょっと本題から離れすぎた。話をムクノキに戻す。 このムクノキは東近江市指定の保護樹木でもある。ムクノキそのものについて案内板があった。 ほかに、山の神としての側面についての縁起書もあって、自由に持ち帰ってよい旨が記されていた。そして、縁起書の収納ケースの扉には「ようこそお参り下さいました」とも書いてある。なんと嬉しいことだろう。 部外者にとって、案内板は初対面の相手から自己紹介されたようなもので、無言で顔を合わせた時とは印象がまるで違う。それだけでも有り難いのに、「ようこそ」と歓迎されたのだ。このようにここを管理して下さっている方々に好感を覚えずにはいられない。 小公園内には四阿(あずまや)とベンチもある。 見ず知らずの人と人とのつきあい方についても考えさせられたムクノキだった。 |
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