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名称 香仙寺のシイ (こうせんじのしい)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スダジイ
樹高 25m(注2)
目通り幹囲 6.5m(注2)
推定樹齢 伝承600年以上(注3)
所在地の地名 茨城県常陸太田市松栄町(注4)
〃 3次メッシュコード 5440−63−27
〃 緯度・経度 北緯36度31分22.2秒
東経140度28分01.6秒
埼玉県指定天然記念物(1971年1月28日指定)
撮影年月日 2005年3月25日
注1)アルミパネルの立派なもの(設置者および設置年月不詳)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による。案内板には目通り9.5mとあるが、ご覧のように、それほど太くはない
注3)現地の案内板に基づいて計算
注4)2004年12月1日、常陸太田市に合併。旧行政区は久慈郡金砂郷村
浄土宗不軽山香仙寺は、久慈川と浅川に挟まれた丘陵地に位置する。
境内に高さ3m、奥行き10mほどの石窟があり、正面奥の壁に阿弥陀三尊の浮き彫りがある。
案内板によれば、佐竹氏の兵乱の際、了誉聖冏禅師(りょうよしょうげいぜんじ、1420年示寂)が難を避け、明徳元年(1392)から10年間、この洞窟に籠もって「選択伝弘決鈔」直牒10巻はじめ、150巻の著述をものした。
永享4年(1432)、了誉13回忌を機に、その弟子明誉了智が師の聖蹟に一宇を建立したのが香仙寺の始まりという。件の洞窟は、故事に因み「直牒堂(じきてつどう)」と名付けられた。(案内板より)
了誉上人は、直牒堂に籠もった際、柿・椎を食料としたと伝えられている。木喰(もくじき)されていたということなのだろうか。
そのときに食べた椎の実が、この木のものだというのである。(上記の伝承樹齢はそこから計算した)
伝承の真偽はともかく、境内の前面に独立しているため、参詣者には、堂々たる体躯の全貌がよく見える。強いインパクトを与えていることは疑いようがない。
いまや、直牒堂とともに、まさしく香仙寺の顔になったと言ってもいいのではないだろうか。 |
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