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山中鹿之助の墓 |
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名称 幸盛寺の大銀杏 (こうせいじのおおいちょう)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 イチョウ
樹高 34m(注2)
目通り幹囲 6.1m(注2)
推定樹齢 400年以上(注3)
所在地の地名 鳥取県鳥取市鹿野町鹿野(注4)
〃 3次メッシュコード 5334−10−55
〃 緯度・経度 北緯35度27分44.5秒
東経134度03分48.7秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2010年9月24日
注1)「鳥取市指定保存樹林」(2006年12月指定)であること示す案内板。指定から間もない頃に鳥取市が設置したと思われる
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」による
注3)上記案内板による
注4)2004年11月1日、鳥取市に合併。旧行政区は気高郡鹿野町
年配の方ならば、メンコの絵柄や少年向けの本で、山中鹿之助(正しくは鹿助)の名をご存じの方も多いだろう。
鹿之助は、戦国時代に実在した人物で、鹿助は兜飾りから名付けられた通称。本名は山中幸盛(ゆきもり)。毛利氏に滅ぼされた尼子家に仕え、天正6年(1578)、数え34歳で没した、忠義の豪傑であったとされている。
のち、鹿野城主となった亀井茲矩(これのり)は、幸盛の養女を娶っていた。茲矩は舅にあたる山中幸盛の菩提を弔うため、旧地から寺を移し、明照山幸盛寺と山寺号を改めた。寺号はもちろん幸盛の名から。山号は兜の前立が三日月であることから名付けられたのだろうか。
墓地の一角、その山中鹿之助の墓のすぐ前に大イチョウが立っている。
少し前に強剪定を受けたらしく、幹だけで立っている感じ。ただ、樹勢は悪くなさそうに見える。
幸盛寺の建立と同時期に植えられたと考えられているようだ。 |
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