ページタイトル:幸畑陸軍墓地の多行松 当サイトのシンボルマーク

画像:幸畑陸軍墓地の多行松_1


画像:幸畑陸軍墓地の多行松_2


画像:幸畑陸軍墓地
名称 幸畑陸軍墓地の多行松
    (こうばたりくぐんぼちのたぎょうしょう)
名称の典拠 「青森県 里山の巨樹・古木マップ」
樹種 アカマツ
樹高 −
目通り幹囲 − (3m未満)
推定樹齢 約120年(注1)
所在地の地名 青森県青森市幸畑字阿部野
 〃 3次メッシュコード 6040−36−33
 〃 緯度・経度 北緯40度47分03.9秒
           東経140度47分22.8秒(注2)
青森市指定史跡天然記念物(1963年7月19日指定)(注3)
撮影年月日 2022年7月27日

注1)ここに墓地が作られた明治36年(1903)に植えられたことが分かっている
注2)これは左上図の個体の位置
注3)「幸畑陸軍墓地(多行松77株を含む)」の名称で史跡天然記念物に指定された





 新田次郎の小説に「八甲田山死の彷徨」がある。実際に起きた大規模山岳遭難を題材とした小説である。のち、高倉健・北大路欣也ら豪華キャストで映画化されたので、この遭難事件を知る年配者は多いことと思う。(映画のタイトルは「八甲田山」。封切りは昭和52年(1977))
 従って詳細は省略するが、ご存知ない方のために簡単に説明すると、明治35年(1902)1月末の厳冬期に、帝国陸軍青森歩兵第5連隊に属する将兵210名が八甲田山越えの雪中行軍に出発した。起こりうる対ロシア戦争への準備として、極寒の条件下でも橇(そり)と人力での物資輸送が可能かどうかを試すためである。成功の見込みがあって実施されたのだと思うが、しかし、事前調査不足と悪天候によって山中でルートを見失い、参加した210名のうち199名が死亡するという大惨事になってしまった。
 無念の死を遂げた彼らは、軍務に殉じたのであるから、もちろん手厚く葬られた。その特別な墓地が幸畑陸軍墓地である。(墓地を含む全体は幸畑墓苑と呼ばれ、その一角には資料館=左中図の建物もある)
 墓地造成の際、墓標群を取り囲むように多行松が植えられた。四国から取り寄せられたものだという。
 多行松はアカマツの園芸種で、根元近くから多くの支幹に分かれる特徴を持つ。案内板を読んでも、何故多行松が選ばれたのか記されていないので、想像するのみだが、大黒柱を失った彼らの家庭ではあるけれども、この松の姿のように各家族やその子孫が繁栄することを祈ったものであろうか。縁起の良い常緑のマツの力で、不幸を遠ざけたいとの思いがあったかも知れない。
 暖かい地から来た松ではあるが、順調に育っているようだ。
 ただし、植えられてからまだ百年とちょっと。巨木の域に達している個体はないようだ。
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