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名称 中原のリンゴ国光原木 (なかはらのりんごこっこうげんぼく) 名称の典拠 現地の案内板(注1) 樹種 リンゴ 樹高 3m(注2) 目通り幹囲 1.7m(注2) 推定樹齢 約140年(注3) 所在地の地名 長野県千曲市八幡(やわた)字古屋敷(注4) 〃 3次メッシュコード 5438−60−16 〃 緯度・経度 北緯36度30分55.3秒 東経138度04分30.7秒 千曲市指定天然記念物(1994年3月31日指定) 撮影年月日 2024年5月3日 注2)千曲市公式ウェブサイト中の文化財紹介PDFページによる 注3)明治12年(1879)以降の明治中期に植えられたようなので、そこから概算すると、訪問時にはこれくらい 注4)2003年9月1日、更埴市と近隣2町が合併して千曲市誕生。旧行政区は更埴市 最初にお断りしておくと、上記データからお分かりのように、この木は巨木ではない。記念碑や記念館と同様な、いわば「記念木」の類である。ただしほかと違うのは、記憶しか残っていないわけでなく、その実体がいまも生きて存在しているという点である。 今から60〜70年ほど前、第一次団塊世代が子供の頃、リンゴといえば紅玉(こうぎょく)と国光(こっこう)であった。ほかに印度リンゴとかゴールデンデリシャスなど酸っぱくない品種もあったが、それらは比較的高価だったため、庶民のリンゴは専ら紅玉と国光だった。(当時、私の地方で手に入るリンゴはほぼすべて長野県産だった。青森リンゴの状況についてはよく知らない) 紅玉は果肉が堅すぎず、甘味と酸味のバランスが良くて今でもジャム等の加工用に人気のようだが、長期保存には不向きだった。国光は果肉が堅く、長期保存出来たので冬によく食べたが、紅玉よりもかなり酸っぱかった印象がある。長期保存できる上に味がずっと勝る「ふじ」の登場で国光はすっかり駆逐されてしまったようだ。 その国光がまだ生きていると知って、子供時代の友人に会いに行くような気持ちで訪ねた。 訪ねたのはリンゴの花の季節。案内板によると、枝先には「ふじ」が接ぎ木されているとのこと。咲いていたのは国光の花ではなく「ふじ」の花だったが、太い枝からは毎年国光本体の枝も伸びるそうで、その都度剪定されているらしい。この元気は、所有者の丹精のお陰と思われる。 原木は見学者にも公開されているのだが、実態はリンゴ畑に立つ現役のリンゴである。周囲にはもちろんほかにもリンゴの木がある。見学の際はあまり動きまわることなく、行動範囲を最小限に抑えるようにしたい。所有者のご厚意が林檎の寿命を縮めることにならないように。 |
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