ページタイトル:粉河寺のクスノキ ロゴ:人里の巨木たち

画像:粉河寺のクスノキ(幹と並ぶ)


画像:粉河寺本堂
 粉河寺本堂(国重文)
 向かって右手に上図のクスノキが立つ


画像:粉河寺参道のウバメガシ
 参道途中のウバメガシ
名称 粉河寺のクスノキ (こかわでらのくすのき)
名称の典拠 なし(注1)
樹種 クスノキ
樹高 20m(注2)
目通り幹囲 7.7m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 和歌山県紀の川市粉河(注3)
 〃 3次メッシュコード 5135−33−32
 〃 緯度・経度 北緯34度16分51.3秒
           東経135度24分22.8秒
紀の川市指定天然記念物(1997年4月24日指定)
撮影年月日 2014年3月25日

注1)天然記念物指定名称は「踞木地のクス」
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 近畿版」による
注3)2005年11月7日、那賀郡内5町が合併して紀の川市誕生。旧行政区は那賀郡粉河町





 粉河観音宗総本山風猛山粉河寺(ふうもうざんこかわでら)の境内、本堂の東側に立つクスノキ。平成9年(1997)4月24日、旧粉河町から自然保存木指定を受けている。
 粉河寺の本尊は千手千眼観世音菩薩。粉河寺は西国33観音霊場の第3番札所でもある。古くより知られた名刹の一つだ。
 国宝「粉河寺縁起絵巻」が語る草創縁起は、概略次のようなものである。
 この地の猟師大伴孔子古(粉河寺公式HPでは「おおとものくじこ」と読んでいる)が、ある冬のはじめ、霊光を見た。それが幾晩も続いたので、孔子古はその場所に草庵を結んだ。(寺伝では宝亀元年(770)のことという)
 それからしばらくして、一人の童子が草庵に宿を借り、その礼として仏像を彫刻することを約束。決して覗いてはならぬと言われた7日間を過ぎて孔子古が草庵に入ると、そこに童子の姿は無く、等身の千手観音像が立っていた。
 話は変わって、河内国に住む長者の一人娘が重い皮膚病で苦しんでいた。さまざまな祈祷を受けても一向に治る気配がなかった。
 そこに一人の童行者が現れ、7日間千手陀羅尼を誦したところ、見事に快癒した。喜んだ長者は財宝を差し出して報いようとしたが、童行者はこれを断り、娘の差し出した提鞘(箸箱?小刀?)と紅袴のみを受け取って去った。童行者の居場所は紀伊国那賀郷の粉河だという。
 翌年春、長者一家は那賀郷を訪ねる。ところが粉河の名を知る人は誰もいない。探しあぐねて山麓の小川で休んだとき、この水がまるで粉を流したように白いことに気がついた。これこそが粉河と悟った長者一行は、この川の上流を目指す。
 そこで目にした草庵の扉を開くと、安置された千手観音菩薩の手に、娘が差し出した提鞘と紅袴があった。長者は件の童行者が観音菩薩の化身であったことを知る。
 と、このような内容である。
 草庵が大伽藍に変じたのはこの長者の援助があったからなのだろう。そして孔子古は猟師をやめ、別当となって代々粉河寺を守ったということである。
 クスノキの話に戻ると、このクスは、猟師時代の孔子古が「この木に踞して下を通る鹿などを」狙ったクスノキなのだそうである。
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