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建長寺仏殿(2000年2月12日撮影) |
名称 建長寺のビャクシン
(けんちょうじのびゃくしん)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 ビャクシン
樹高 13m(注2)
目通り幹囲 6.5m(注2)
推定樹齢 750年(注3)
所在地の地名 神奈川県鎌倉市山ノ内
〃 3次メッシュコード 5239−74−94
〃 緯度・経度 北緯35度19分52.2秒
東経139度33分15.7秒
鎌倉市指定天然記念物(1998年11月9日指定)
撮影年月日 2002年9月14日
注1)鎌倉市教育委員会が設置(設置年月不詳)
注2)神奈川県が設置した「かながわの名木100選」案内板による
注3)建長寺の創建年から概算(2002年現在)
建長寺は、日本史の教科書にも登場する名刹。正式名を巨福山建長興国禅寺という。
建長5年(1253)に執権北条時頼がここに大寺を建立する以前、このあたりは罪人の処刑場で、地獄谷と呼ばれていた。地蔵菩薩を本尊とする心平寺なる小さな寺があったようだ。
仏教による治世を志した北条時頼は、宋から名僧蘭渓道隆を招き、建長寺の開山とした。時頼の後継者たちも建長寺を重んじ、至徳3年(1386)には鎌倉五山の第1位とされた。
建長寺は、総門・三門・仏殿・法堂が一直線に並ぶ、禅宗独特の伽藍配置を有している。その三門と仏殿を結ぶ参道の両脇に、ビャクシン(イブキ)の古木が整然と並んでいる。寺伝によれば、開山の蘭渓道隆が宋から持参した種子を植えたという。
その後、伽藍は幾度も火災にあったが、ビャクシンは生き延びた。国重文の仏殿は、江戸芝の増上寺にあった徳川2代将軍秀忠夫人崇源院の霊廟を正保4年(1647)に移築したものである。以来、ビャクシンの近くでは火災はないようだ。
向かって左に並ぶ3本の真ん中、上写真の1本が一番太い。標記のデータはこの木のものである。左右に幹を伸ばし、姿も堂々としている。
中写真は参道を挟んで反対側に立つ1本。太さでは及ばないものの、生きながらえてきた年月を感じさせる姿だ。 |
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