ページタイトル:崋山神社のソテツ 当サイトのシンボルマーク

画像:崋山神社のソテツ


画像:崋山神社のソテツ(全景)
名称 崋山神社のソテツ (かざんじんじゃのそてつ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ソテツ
樹高 5m(注2)
目通り幹囲 5.7m(注2)
推定樹齢 不明
所在地の地名 愛知県田原市田原町巴江(はこう)(注3)
 〃 3次メッシュコード 5237−02−01
 〃 緯度・経度 北緯34度40分24.2秒
           東経137度16分05.8秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2017年12月9日

注1)「たはらの巨木・名木100選」に選ばれたことを示す案内板。田原市公園緑地課が設置(設置年月不詳)
注2)上記案内板による
注3)2003年8月20日、渥美郡内の2町が合併して田原市誕生。旧行政区は渥美郡田原町





 1万2千石の田原藩主三宅(みやけ)氏の居城であった田原城(巴江城)の本丸跡に、巴江神社(はこうじんじゃ)があり、三宅氏の祖児島高徳(こじまたかのり)を祭神として祀っている。
 その外側、田原城桜門の近くには堀や石垣が残り、田原市博物館や民俗資料館もあって、この一角はいわば歴史地区の様相を呈している。
 崋山神社もそのなかの一員だ。堀の西側にあって南北を田原中部小学校と田原中学校に挟まれている。
 神社の創建は昭和20年(1945)。新しい神社である。祭神は田原藩家老であった渡辺崋山(わたなべかざん)。
 巴江神社のように城主の祖を祀る神社が城跡近くにあるのは珍しいことではないが、家臣を祭神とする神社は珍しい。
 渡辺崋山の名前をご存じの方は多いことだろう。画業における卓抜した技量がよく知られるが、そればかりではなく、田原藩家老としての力量も大したものだったらしい。
 全国で多くの犠牲者が出た天保7・8年(1836〜7)の大飢饉の際も、そのような時の備えとしての義倉「報民倉」があったおかげで、田原藩からは一人の餓死流亡者も出さなかった。その功績により、田原藩は、全国で唯一、幕府から表彰を受けたという。(田原市博物館ウェブサイトによる)
 新しい神社だけあって、雰囲気は、明るく開放的な小公園といった感じ。
 拝殿の手前、向かって右手、崋山会館の前に左図のソテツが立つ。
 渥美半島の穏やかな気候を想像させる光あふれる境内に、いかにも南国的なソテツがマッチしているように思われた。
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