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画像:加子母のスギ

画像:加子母のスギ(遠景)
名称 加子母のスギ (かしものすぎ)
名称の典拠 「日本の天然記念物」(注1)
樹種 スギ
樹高 31m(注2)
目通り幹囲 13.0m(注2)
推定樹齢 伝承1000年以上(注2)
所在地の地名 岐阜県中津川市加子母字池ノ森(注3)
 〃 3次メッシュコード 5337−42−96
 〃 緯度・経度 北緯35度45分09.4秒
           東経137度20分03.5秒
国指定天然記念物(1924年12月9日指定)
撮影年月日 2002年8月8日(左の写真)
        2021年11月4日(少し大きめの画像)

注1)1995年に講談社が刊行
注2)1998年4月に加子母村・加子母村教育委員会・大杉地蔵尊世話人が連名で設置した案内板による
注3)2005年2月13日、中津川市に編入合併。旧行政区は恵那郡加子母村





 国道257号の舞台峠は、下呂町側は急坂だが、加子母村側の勾配が緩い、非対称的な峠だ。だから、この大杉は、舞台峠近くに立つとはいえ、殆ど平坦地に立っているようなものである。平坦地の独立木だから、その姿は遠方からもはっきりと認められる。いわば当地のランドマークだ。
 伝承樹齢は1000年以上。しかしこの木にまつわる縁起伝説は鎌倉時代のものだ。
 その一つ。建久年間(1190〜99)に、源頼朝が江馬与四郎を訪ねた折、杖を逆さにさしたのが根付いて大杉になったというもの。(その際、地蔵堂の再建も指示したという)
 もう一つ。出家した5代執権北条時頼が、僧衣で全国を行脚した。当地に至って、文覚上人の亡くなったことを知り、菩提を弔うために1本の杉を植えた。それがこの木だ、というもの。
 伝説を裏付けるように、ここには文覚上人(1139?〜1204?)の墓なるものがある。といっても、天保4年(1833)に建てられたものだから、根拠については不確かである。(文覚上人は流刑地の対馬で没したと考えるのが妥当であろうが、流刑地への途上で没したという説もある)
 大杉と文覚上人と大杉地蔵。ここは3つが絡み合った観光地なのである。広すぎるほどの柵が設けられて、じかに大杉に触れることが出来ないのは残念だが、観光地なれば、大杉のためには致し方あるまい。
 
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