ページタイトル:鹿島神宮のスギ ロゴ:「人里の巨木たち」のシンボルマーク

画像:鹿島神宮のスギ(本殿後方の御神木)
本殿後方のスギ(神木)。これが境内の最大木

画像:鹿島神宮のスギ(楼門の先のスギ)
楼門近くに立つスギ。目通り5.8m

画像:鹿島神宮のタブノキ
境内入口には、2幹のタブノキ巨木

画像:鹿島神宮のスダジイ
駐車場のスダジイ
  名称 鹿島神宮のスギ (かしまじんぐうのすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 43m(注1)
目通り幹囲 9.4m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 茨城県鹿嶋市宮中
 〃 3次メッシュコード 5340−75−50
 〃 緯度・経度 北緯35度58分07.3秒
           東経140度37分53.2秒(神木)
茨城県指定天然記念物(1963年8月23日、「鹿島神宮樹叢」として境内林を一括指定)
撮影年月日 2010年2月12日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による





 若者たちにとっては、鹿島というと、アントラーズということになろうが、本来は鹿島神宮の門前町として発展してきた都市である。
 (余談だが、町制時代は鹿島町の文字を用いていた。市制に移行するにあたり、既に鹿島市が佐賀県に存在することから、同名を避け、鹿嶋市の文字を使用することにしたとのこと)
 鹿島神宮の創建は神武天皇元年(B.C.660)だとか。その時代の歴史が正確に伝わっているとも思えないが、とにかく古い昔から存在して、人々の崇敬を集めていたことは確かなようだ。
 祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。神話では、高天原から派遣されて、出雲の建御名方神(たけみなかたのかみ)との力比べに勝ち、葦原中国(あしはらのなかつくに)の平定に大きな役割を果たしたとされる神である。
 このことは、武甕槌大神が武術の神とされる所以でもある。さらには鹿島古流の流れを汲む剣聖塚原卜伝(つかはらぼくでん)が神官鹿島氏四家老の一人、卜部(うらべ)家の出自とあらば、いっそう武家の信仰が深まったものと推測する。
 平和な世になって、今はさまざまな人が訪れる。鹿島神宮の正式WEBサイトには、本来の(競技等における)必勝祈願のほか、旅行安全、五穀豊穣、殖産、安産、事業の創業など様々な局面における御利益が列挙されている。
 さて、肝心の巨木の話だが、境内林は巨木の宝庫であるといっていい。
 殆どの部分で参詣者の立ち入りを拒否し、全体として自然林のように保たれている。タブやシイは、この地における自然の植生を反映しているように思われる。
 先に巨木の宝庫と書いたが、これは数が多いということであって、巨大さにおいては、残念ながらそれほど特筆すべきものはない。
 そのなかで、朱塗りの楼門(国重文)のすぐ先、右手に立つスギが大きい(左図、上から2番目)。これが旧環境庁データにある目通り5.8mとされるスギだろう。
 同データで9.4mとされているのが、御神木の大杉だと思われる。本殿のすぐ後方に立ち、背の高い塀に囲まれている。
 一般参詣者は、その塀に近づくこともできないので、参道のところどころから、木立の隙間に垣間見せる姿を眺めるのみ。その背の高さとすらっとした主幹から、9.4mの幹囲を想像するしかない。
 神聖なものは、あまり開けっぴろげでないのがよい、ということなのだろう。
 
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