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名称 閑貞桜 (かんていざくら) 名称の典拠 現地での呼称(注1) 樹種 エドヒガン 樹高 不詳(10m未満) 目通り幹囲 5.8m(注2) 推定樹齢 伝承250年(注3) 所在地の地名 長野県上水内郡信濃町平岡黒姫道 〃 3次メッシュコード 5538−11−45 〃 緯度・経度 北緯36度47分20.1秒 東経138度11分31.8秒 長野県指定天然記念物(1967年5月22日指定) 撮影年月日 2002年4月21日 注1)現地の案内板や、八十二文化財団のHP「長野県の文化財」では「原のシダレザクラ」とされているので、多分それが天然記念物の正式指定名称である。しかし、土地の人はそのように呼ぶことはなく、以前から「閑貞桜」の名で親しんできたので、そちらを取り上げた 注2)上記「長野県の文化財」による 注3)植えた人物と伝えられる閑貞坊の没年、宝暦8年(1758)から概算して250年とした 最初に訪れたのは平成11年(1999)。当時は見るも無残な姿で、花もごく疎ら。周囲に古畳を敷き詰めて、根を傷めないように工夫してあったが、翌年は花が見られないのではないかと本気で心配した。 それから3年後の姿がこれ。樹勢回復措置が功を奏したようだ。 「閑貞桜」の名は、閑貞なる僧が植えた桜だからである。傍らに立てられた説明によれば、閑貞は由井(由比)正雪の孫で、身の丈6尺(180cm)あまりの偉丈夫だったという。あるいは丸橋忠弥の一味だとか、赤穂浪士と関係があったとも伝えている。 当時のスターたちをこれだけ並べられると、眉に唾をつけたくなるが、桜の傍らには確かに閑貞坊の墓がある。苔むした卵塔は近年のものではなさそうだ。 思うに、伝承の真偽は別にして、閑貞坊は実在し、その体躯に似合った豪放磊落な人物で、そのうえ村人から好かれていたのではあるまいか。 そうでなければ、後世まで僧の名を伝えようとはするまい。なんとなく、「閑貞桜」の名に、村人たちの親愛の情を感ずるのである。 |
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