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石段の上に小さく見えるのが新田神社
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名称 金山の大ケヤキ (かなやまのおおけやき) 名称の典拠 「日本の巨樹・巨木林」(注1) 樹種 ケヤキ 樹高 15m(注2) 目通り幹囲 6.6m(注2) 推定樹齢 300年以上(注2) 所在地の地名 群馬県太田市金山 〃 3次メッシュコード 5439−33−70 〃 緯度・経度 北緯36度19分01.6秒 東経139度22分40.7秒 天然記念物指定等 なし 撮影年月日 2003年2月8日 注1)旧環境庁が1991年に刊行 注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による 太田市街地の北方に、金山城址がある。標高236mの金山を中心に、放射状に出る6筋の尾根に沿って城郭を連ねていた。上杉謙信や武田勝頼の攻撃に耐えた難攻の山城だったようだ。(金山城については太田市教育委員会のホームページ「太田のシンボル金山」に詳しい) 徳川家康が天下を取り、平和な時代が訪れると、金山城は用済みとなった。ところが、ここでは良質なマツタケが採れたらしく、徳川将軍家御用の松茸山とされ、おかげで、城の遺構は手を加えられずに残った。 最近、この城の復元作業が進んでいる。遊歩道も整備され、眺めの良い尾根筋を気持ちよく歩くことができる。 大ケヤキは山頂近くに立っている。新田神社の参道石段の横なので、参道の並木として植えられたように誤解されがちだが、新田神社が創建されたのは明治8年(1875)。ケヤキの方がはるかに先輩である。 戦前は同様のケヤキが7本あったが、戦後は3本に減り、とうとうこの1本だけになってしまったという。 ケヤキのそばからは太田市街地がよく見わたせる。仲間に先立たれた大ケヤキだが、この景色を見ながら、まだまだ元気でいてほしいものである。 |
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