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名称 上津の姥桜 (かみづのうばざくら) 名称の典拠 現地の標柱(注1) 樹種 エドヒガン 樹高 15m(注2) 目通り幹囲 10.6m(注2) 推定樹齢 伝承500年(注2) 所在地の地名 群馬県利根郡みなかみ町上津(注3) 〃 3次メッシュコード 5538−07−08 〃 緯度・経度 北緯36度40分26.6秒 東経138度58分25.0秒 群馬県指定天然記念物(1952年11月11日指定) 撮影年月日 2010年4月25日 注1)石造の立派なもの(設置者名・設置年月とも不詳)。それには「上津の姥櫻」とあったが、常用漢字の「桜」に訂正させてもらった 注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による 注3)2005年10月1日、利根郡内3町村が合併してみなかみ町誕生。旧行政区は利根郡月夜野町 村主(すぐろ)の大欅がある八幡神社から西南西に300mほどの道路際に立つ桜。 桜のそばに「姥櫻と伝説」と題した石碑がある。 それによると、室町時代中期、沼田氏の一族上野介景繁の三男がここ名胡桃の郷に城を構え、名胡桃三郎景冬と名乗った。 その景冬には、如意姫という姉がいた。和歌に秀で、才知に優れ、その上、絶世の美人であった。その噂は都にまで達し、右大臣平信宗に召されてその養女となり、采女(うねめ)として帝に仕えることになった。如意姫は帝からも寵愛を得て、やがて懐妊。郷里に戻って皇子を出産した。その記念に都から持ってきて植えたのが、この姥櫻である。 石碑には、およそそんなことが書かれてあった。 桜の隣の石灯籠には、延宝3年(1675)銘が見える。桜もここに古くからあったのかも知れない。 株立ちの桜であるから、上記幹囲データは、それぞれの幹囲を合計した数値である。実感とはかなり異なるので、その点はあらかじめご承知を。 仮に伝説が真実だとしても、その初代のサクラがこれだということはないだろう。2世なのか3世なのか。あるいは伝説はまったくの創作なのか。 サクラは、そんな詮索をよそに、満開の優美を誇っていた。 |
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