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名称 懐古園のケヤキ (かいこえんのけやき) 名称の典拠 なし 樹種 ケヤキ 樹高 27m(注1) 目通り幹囲 6.1m(注1) 推定樹齢 500年(注2) 所在地の地名 長野県小諸市丁 〃 3次メッシュコード 5438−33−83 〃 緯度・経度 北緯36度19分38.1秒 東経138度25分04.4秒 天然記念物指定 なし 撮影年月日 2007年6月17日 注2)根元に設置された小さな樹名板による(設置者名不明) 「小諸なる古城のほとり/雲白く遊子(ゆうし)悲しむ」と「千曲川旅情の歌」(初出時のタイトルは「小諸なる古城のほとり」)に歌われた古城跡に立っている。 千曲川に臨む断崖上に築かれた城は、城下町よりもむしろ低い場所にある。このような城を穴城と呼ぶらしい。 武田信玄が山本勘助と馬場美濃守信房に命じて築城したのが始まりという。以来、幾度も城主を変えたが、元禄15年(1702)に牧野氏が城主になってからは、明治4年(1871)の廃藩置県まで10代続いた。 明治13年(1880)には城跡に神社が祀られ、懐古園と呼ばれるようになった。(以上、懐古園のパンフレットから抜粋) 冒頭の歌の作者島崎藤村が、大学の恩師木村熊二に招かれて、小諸義塾に赴任したのは明治32年(1899)のこと。すでにこのケヤキは相当な大木になっていたと思われる。藤村もきっと目にしたに違いない。 ケヤキが立つ場所は、黒門橋を渡って右手に折れたところ。谷口吉郎氏設計の藤村記念館の前。道がここだけロータリーのように広くなっている。 広い空間を与えられて、のびのびと枝を伸ばしている。樹勢も良い。 訪れたのは快晴の日曜。園内は賑わっていた。たまたま催されていた草笛交流会(冒頭の詩には「暮行けば浅間も見えず/歌哀し佐久の草笛」の一節もある)に足を止める人が多かった。 が、ケヤキに関心を抱く人はあまりいないようであった。 |
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