ページタイトル:海住山寺のヤマモモ 当サイトのシンボル

画像:海住山寺のヤマモモ

画像:海住山寺五重塔
 海住山寺五重塔(国宝)
名称 海住山寺のヤマモモ
    (かいじゅうせんじのやまもも)
名称の典拠 なし
樹種 ヤマモモ
樹高 12m(注1)
目通り幹囲 5.8m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 京都府木津川市加茂町例幣(注2)
 〃 3次メッシュコード 5235−16−29
 〃 緯度・経度 北緯34度46分39秒
           東経135度51分42秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2010年6月27日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 近畿版」による
注2)2007年3月12日、相楽郡内3町が合併して木津川市誕生。旧行政区は相楽郡加茂町





 木津川右岸、標高200mの高台に、真言宗補陀洛山海住山寺(ふだらくさんかいじゅうせんじ)がある。補陀洛とは、南の海の先にあるとされる観音浄土のこと。西方にある阿弥陀浄土である極楽と同様、苦しみのない世界と考えられていた。
 海住山寺の前身は、天平7年(735)、聖武天皇の勅命により、良弁(ろうべん)が開いた藤尾山観音寺だという。ここに恭仁京を造営するにあたり、観音寺を建立して工事の成功を祈願したと伝えられているようだ。(現在、恭仁京跡は恭仁小学校となっている)
 その後5百年ほどを経て、笠置寺から来た解脱上人貞慶(じょうけい)が、すでに灰燼に帰していた観音寺跡に草庵を結び、現山寺号を称した。承元2年(1208)のことである。補陀洛、海住山の名は、前身であった観音寺の寺号と無関係ではあるまい。補陀洛浄土があるという南海から遠く離れた山中に暮らしていても、海も浄土もおのれ自身の心中にあると教えているようにも思われる。
 海住山寺は、巨樹巡りを始める前から、是非とも訪ねたい古刹の一つだった。書きたいことはまだたくさんあるのだが、海住山寺の公式サイトに詳しい説明があるので、そちらに譲ろう。
 すれ違いのままならない細いアスファルト道を登りつめたところが、海住山寺の駐車場。
 国重文の文殊堂を右に見て、本堂(観音堂)に向かって右奥に入ると、右手の樹林内にヤマモモの姿が見える。
 もちろん樹林に立ち入ることは許されていない。灌木が幹を隠し、根元が見えるポイントは限られてしまうが、多くの参詣客が訪れる名刹であれば、立入禁止は当然の処置だろう。
 木々の隙間からの対面だったが、それでも十分にヤマモモの重量感を感じ取ることが出来た。
 
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