ページタイトル:旧開智学校横のポプラ サイトのシンボル

画像:旧開智学校横のポプラ

画像:旧開智学校横のポプラ(全景)(幹と並ぶ)

画像:旧開智学校
 旧開智学校(国指定重要文化財)
名称 旧開智学校横のポプラ
    (きゅうかいちがっこうよこのぽぷら)
名称の典拠 なし
樹種 ポプラ(注1)
樹高 12m(注2)
目通り幹囲 5.8m(注3)
推定樹齢 不明
所在地の地名 長野県松本市開智2丁目
 
〃 3次メッシュコード 5437−27−87
 
〃 緯度・経度 北緯36度14分34.2秒
           東経137度58分04.0秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2009年3月22日

注1)「ポプラ」は種名ではないが、わたしの能力では詳細な種名について判断することが出来ないので…
注2)目分量で
注3)高地側から地上1.3m地点の幹回りを実測。根元付近はもっと細い





 いわば現開智学校というべき市立開智小学校の北に、国指定重要文化財旧開智学校がある。
 明治初期の筑摩県参事(のち権令)永山盛輝は、中央政府に先駆けて教育を奨励。県民もそれを受け入れて、各地に学校が設立された。
 開智学校は、明治6年(1873)5月開校。松本の大工棟梁立石清重の設計施工による校舎は、明治9年(1876)、女鳥羽川(めとばがわ)のほとりに完成した。費用は約1万1千円。その7割は市民からの寄付である。同年4月21日の「信飛新聞」第136号に「土地自慢(トコロジマン)でハござらぬが建築の出来ハ目今(タダイマ)日本第一等の小学校」と評された壮麗で規模雄大な学校だった。
 明治の文明開化を象徴する建築物の一つとして、昭和36年(1961)3月23日、近代学校建築としては最初の重要文化財に指定された。その後も昭和38年(1963)3月まで使用されたので、何年間かは重要文化財で授業を受けた子供もいたのである。(見学時にいただいたパンフレットを参考)
 校舎が使用されなくなってのち、建物の一部を現在地に移転。なるべく新築当初の形に近づけて復元された。現在は、松本市立博物館付属施設として、内部も見学可能。(入館料必要)
 駐車場に立つポプラは、従って、本来はこの学校とは無関係なのであろう。
 でも、擬洋風建築の校舎とポプラの組み合わせには、違和感はない。
 根元付近を整備してやれば、良いコンビになるのではないだろうか。

※その後、根元近くで切断されてしまった。今はこの姿を見ることが出来ないが、多数の蘖(ひこばえ)が元気に育っているようだ。(2023/10/26追記)
 
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