ページタイトル:景勝の桜 当サイトのシンボルマーク

画像:景勝の桜 名称 景勝の桜 (かげかつのさくら)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 エドヒガン
樹高 不明
目通り幹囲 3.5m(注2)
推定樹齢 伝400年(注3)
所在地の地名 福島県郡山市田村町山中(さんちゅう)字本郷
 〃 3次メッシュコード 5640−03−02
 〃 緯度・経度 北緯37度20分18.7秒
           東経140度24分21.8秒
郡山市指定天然記念物(2022年12月22日指定)
撮影年月日 2024年4月14日

注1)2018年4月15日に郡山市田村町観光協会が設置。天然記念物指定名称もこれに同じ
注2)全くの目分量
注3)「景勝の桜」案内板より





 JR水郡線磐城守山(いわきもりやま)駅の北方約900m。国道49号と谷田川(やたがわ)の間に独立した小山があり、その山頂に田村神社が鎮座する。
 前身は平安時代の征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が創建したと伝える鎮守山泰平寺で、本尊は大元帥明王(だいげんすいみょうおう)。
 この明王は「帥」を略して大元明王、太元明王(たいげんみょうおう)と呼ばれることがあり、当地でもそのように呼ばれていたようだ。(案内絵図では大元・太元が混在している)
 松尾芭蕉も「奥の細道」の途次、元禄2年(1689)4月29日(現行暦では6月16日)にここを訪ねており、随行した曾良(そら)の日記に記録があるとのこと。
 明治の神仏分離・廃仏毀釈で田村神社となったが、その後はまた元に戻ったというか、現在の本殿はかつての泰平寺本堂で、本殿内の厨子には、正観音と大元帥明王が安置されているようだ。このように神も仏も区別しないのが日本における信仰の実態のように思われる。
 さて景勝の桜だが、「景勝」とはもちろん越後から移封されて会津藩主となった上杉景勝(うえすぎかげかつ)のことである。(詳細については「少し大きめの画像」掲載の案内板をご覧いただきたい)
 見た感じでは400年までの樹齢はないように思われるが、景勝に関わる伝承と共にこの桜が大切にされるのであれば、それも良いのかも知れない。
 花色の濃いエドヒガンで、背の高いスギと大きな本殿に三方を囲まれているため、横に枝を伸ばせず、縦に細長い樹冠を戴いている。手前の小社は境内社の熊野神社。
 満開を過ぎて散り初め状態であったが、青空を背景に、まだ十分に美しかった。
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