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名称 杖杉庵のイチョウ (じょうしんあんのいちょう)
名称の典拠 なし
樹種 イチョウ
樹高 21m(注1)
目通り幹囲 5.3m(注2)
推定樹齢 不明
所在地の地名 徳島県名西郡神山町下分
〃 3次メッシュコード 5034−72−75
〃 緯度・経度 北緯33度59分02.2秒
東経134度19分11.0秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2012年3月21日
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」による
注2)同上。同書では株立ち2本として、幹囲の合計値を716cmとしているが、実際は単幹のイチョウである。従って主幹のみの値とされている数値を紹介することにした
四国88箇所第12番札所摩盧山正寿院焼山寺(まろざんしょうじゅいんしょうさんじ)への自動車参道の途中に、番外霊場杖杉庵がある。
お遍路さんなら、ほとんどの方がご存じだろうが、ここは衛門三郎終焉の地といわれる特別な場所なのである。
衛門三郎は伊予国浮穴郡荏原荘の長者であった。近隣にないほど豊かな財を誇っていたにもかかわらず、強欲の煩悩にとりつかれ、貧しい者を虐げていた。
ある日、みすぼらしい身なりの旅僧が門前に托鉢に訪れた。三郎は、托鉢に応ずるどころか、家人に命じ、悪しざまに追い返した。
追い返されても追い返されても、翌日、僧は現れた。そして8日目、癇癪の極みに達した三郎は僧の鉄鉢を奪い取って、地面に投げつけた。すると鉄鉢は、8つの花弁の如く四方に飛び散り、僧の姿も消えた。
三郎には8人の子供があったが、その翌日、何の前触れもなく長男が死んだ。その次の日には次子が亡くなり、8日の間に8人の子すべてが死んでしまった。
ここに至って、三郎はかの旅僧が弘法大師であったことを知り、自身の悪業の深さが身にしみた。
三郎は、田畑を全て売り払って家人たちに分け与え、妻とも離別して、大師に非礼を詫び、亡き子の菩提を弔うため、大師を追い求める旅に出た。
大師を追い慕って四国88箇所を廻ること20回、大師と出会うことは出来なかった。それで、21度目は逆に回ることにした。しかし、この地まで来て、一歩も動けなくなってしまった。
そのとき、大師が現れ、ついに許しを得ることが出来た。念願叶った三郎は、微笑みながら息絶えた。大師は亡骸を埋葬し、三郎が携えてきた杉の杖を地に挿して墓標とした。のち、その場所に出来た庵が杖杉庵である。
そんな話だ。(異話も多くあり)
もちろん衛門三郎は実在の人物ではなかろう。しかし、この三郎の行為が札所巡りの起源とされ、札所を順番とは逆に回る「逆打ち」は大師に巡り会う旅とされるのも、この伝承による。
墓標のスギは巨木にまで育ったようだが、江戸時代の享保年間(1716〜36)に焼失してしまったらしい。
何故、いまはイチョウなのか、についてはさっぱりわからない。ただ、大きさから判断すると、イチョウは大杉の焼失後に植えられた可能性が高いように思われる。
イチョウの由来はどうあれ、特に黄葉の季節には、道行くお遍路さんたちの心を、きっと慰めてくれることだろう。 |
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