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注1)1996年3月7日に鈴鹿市西玉垣町自治会が設置した案内板による
注2)物部氏が蘇我氏に滅ぼされたのち、ここに住む人々は、信仰していた地蔵像を近くの堀に沈めた。その場所を後世に伝えるために植えたのがこのマツだとする伝承から
松枯れ病が猛威を振るうようになって以来、各地でマツの巨木が次々と姿を消した。旧環境庁が発表した「日本の巨樹・巨木林」に掲載されているマツ巨木のうち、東北地方の一部を除いて、半数を遙かに超える数が枯れてしまったのではなかろうか。(私が住む新潟県も、ほぼ壊滅状態である)
そんななかで、こんなに元気なマツ巨木に会えたのは、夢のようだ。
鈴鹿市役所を起点にすると、ここは南方2.3kmほど。周辺には新しい住宅が建ち並び、富士電機や味の素の大工場もあるが、少し前まで、この辺り一帯には水田が広がっていた(今も一部、水田が残る)。
蘇我・物部云々の話についての真偽は不明だが、享保17年(1732)夏、干魃に困った人々が水を得ようと、大マツ近くの湿地を掘ったところ、土中から地蔵菩薩像が出てきた。その後、享和2年(1802)、大マツの傍らに、その像を安置する地蔵堂を建立、今日に至っている(案内板より)。その頃すでに、マツは尊崇に値する大木だったのだろう。
現在の日本では、「大松」の名に値する数少ないマツ巨木の1本である。そのうえ樹姿も美しく、元気も良い。
名松と呼んで差し支えないと思われる。 |
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