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名称 太夫桜 (たゆうざくら)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 エドヒガン
樹高 13m(注2)
目通り幹囲 5.5m(注2)
推定樹齢 不明
所在地の地名 福島県会津若松市一箕町八幡(いっきまちやはた)字弁天下
〃 3次メッシュコード 5639−27−06
〃 緯度・経度 北緯37度30分17.2秒
東経139度57分12.1秒
会津若松市指定天然記念物(1968年9月18日指定)
撮影年月日 2021年4月16日
注1)1983年11月に会津若松市教育委員会が設置。天然記念物指定名称もこれに同じ
注2)上記案内板による
会津若松城の北西に聳える飯盛山(いいもりやま、372m)は、戊辰戦争で若き命を失った白虎隊の自刃の地として知られるが、この桜は白虎隊とは無関係。
隊士の墓の近くに「さざえ堂」の名で知られる円通三匝堂(えんつうさんそうどう、国重文。(注3))があり、そこから下ったところに戸ノ口堰(とのくちぜき)と名付けられた人工の水路がある。
戸ノ口堰は猪苗代湖から会津盆地まで水を引くために開削された用水で、着工は元和9年(1623)。天保6年(1835)には、会津藩主松平容敬(まつだいらかたたか)が老朽化した堰の改修に乗り出し、その際、水路の一部がトンネル化された。さざえ堂下の厳島神社の北に見えるトンネルがそれである。(白虎隊士は渇水期のトンネルを通って飯盛山に逃れてきたらしい)
トンネルから水路に沿って100mほど下ると、西に桜の樹冠部が見える。それがこの桜である。
桜については、案内板の内容を引用させていただくことにする。(文章は少しいじった)
寛永3年(1626)、蒲生忠郷(がもうたださと)公在城の頃、若松城下の堀江町にいた名妓「いつき太夫」が花見に出たとき、この辺で兇徒に殺害された。太夫には南秀という弟がいて滝沢南岳院の法師であったが、姉の死を大変悲しみ、霊を弔うために墓側に桜を植えた。そのため桜は「太夫桜」と呼ばれるようになった。しかし、その桜は既に枯れ、現在の桜は二代目と伝えられているとのこと。
花には間に合ったが、予想していたほど大きくは無かった。根元が大きく膨らんでいるため上記のような数値となったと思うが、幹の太さ自体は3mに満たないようだ。
注3)重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」 |
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