ページタイトル:常光寺のスギ 当サイトのシンボル

画像:常光寺のスギ_1


画像:常光寺のスギ_2
名称 常光寺のスギ (じょうこうじのすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 35m(注1)
目通り幹囲 5.2m(注1)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 岩手県盛岡市玉山区日戸字古屋敷
 〃 3次メッシュコード 5941−51−57
 〃 緯度・経度 北緯39度47分54.7秒
           東経141度12分58.8秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2013年8月28日

注1)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による





 「いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ」、「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」、「はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」など、多くの人に愛される歌を作った石川啄木(いしかわたくぼく)は、明治19年(1886)2月20日、ここ日照山常光寺で生まれた。当時、父がこの寺の住職をしていたからである。
 常光寺近くの高台に登ると、緩やかに起伏する畑地の黒い土の向こうに、岩手山がどっしり座っている。「ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな」の風景である。
 しかし、常光寺で過ごしたのは、1年と1ヶ月。一家は渋民村の宝徳寺に移った。従って、残念ながら、啄木には、ここで過ごした頃の記憶はなかっただろうと思われる。(後年になって訪ねたことがあったかも知れないが)
 常光寺はその後改築されたが、啄木の生まれた部屋は当時そのままに復元されているそうである。(境内には、啄木とは盛岡中学以来の親友であり、アイヌ語研究で名高い金田一京助(きんだいちきょうすけ)博士揮毫の「石川啄木生誕之地」碑もある)
 境内の前面、道路に沿ってスギ巨木が立つ。林立している、と言ってもいいかも知れない。ほかに、大きな切り株も見える。
 最大のスギは幹囲5.3mとされ、図のスギより大きいが、2幹のスギであるため、ややインパクトに欠ける(少し大きめの画像に写真あり)。
 やはり、左図の大きな瘤に目が行ってしまう。幹囲なんてどうでもいいやという感じ。
 瘤もここまで大きくなると、もう美醜の問題を飛び越え、立派なものである。内包するエネルギーさえ感じられる。
 つくづくと見入ってしまった。
 
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