ページタイトル:引作の大楠 当サイトのシンボル

画像:引作の大楠(幹と並ぶ)_1


画像:引作の大楠(遠景)


画像:画像:引作の大楠(幹と並ぶ)_2
名称 引作の大楠 (ひきつくりのおおくす)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 クスノキ
樹高 35m(注2)
目通り幹囲 14.4m(注2)
推定樹齢 伝承1500年(注2)
所在地の地名 三重県南牟婁郡御浜町引作
 〃 3次メッシュコード 5036−50−51
 〃 緯度・経度 北緯33度47分41.0秒
           東経136度00分36.3秒
三重県指定天然記念物(1936年1月22日指定)
撮影年月日 2009年6月13日

注1)御浜町教育委員会が設置(設置年月不詳)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 東海版」による





 県道141号(鵜殿熊野線)大里トンネル東口から少し下ったところに、引作(ひきつくり)集落がある。県道と別れ、集落の西縁を通る道路を進むと、巨大なクスノキの姿が見えてくる。大楠は、この道路の突き当たり。
 幹回りが10mを超えると、やはり迫力が違う。
 クスノキは、低地側から見て、全体に左の方へ緩く湾曲している。バランス的には少し不自然な感じがする。
 実は、訪問の2年前までは、右の方に伸びる、直径1mほどの支幹がもう1本あったのである。
 折れてしまったものは、悔やんでも元には戻らない。残念なことに違いはないが、せめてその記憶をということなのか、折れた支幹を輪切りにしたテーブルと椅子が置かれていた。(下図)
 テーブルにされた部分では、思ったより空洞は小さい。そして、年輪もはっきり現れている。順調に成長した時代と、太り方がゆっくりで、きわめて密な年輪を形成した時代が見て取れる。密な部分はあまりに細かくて、表面を平滑処理してルーペで見なければ数えられそうにない。年輪を数えるのは諦めた。
 クスノキの椅子の感触を確かめていると、モーターバイクの訪問者が来た。これだけのクスノキともなると、わざわざ見に来る人も少なくないようだ。訪問者用のトイレまである。
  案内板によれば、今から約百年前、明治44年(1911)のこと。この付近に立つ7本の大杉とともに、このクスノキも伐採されそうになった。
 これを聞いた南方熊楠(みなかたくまぐす。注3)が柳田國男(やなぎたくにお。注4)に手紙を書き、その尽力によって、クスノキだけは伐採を免れたという。
 もし、クスノキに心があったなら、二人の知的巨人と三重県有数の巨木の間にも友情が芽ばえたことだろう。

注3)当時田辺市在住。博物学者。1867〜1941
注4)民俗学者としての業績が有名だが、その当時、宮内書記官兼内閣書記官でもあった。1875〜1962


画像:引作の大楠(クスノキのテーブル)
 
ボタン:三重県の巨木リストに戻る ボタン:トップページに戻る