ページタイトル:萩原諏訪城跡のスギ 当サイトのシンボルマーク

画像:萩原諏訪城跡のスギ 名称 萩原諏訪城跡のスギ
    (はぎわらすわじょうあとのすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 35m(注1)
目通り幹囲 5.2m(注2)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 岐阜県下呂市萩原町萩原(注3)
 〃 3次メッシュコード 5337−61−47
 〃 緯度・経度 北緯35度52分28.5秒
           東経137度12分39.0秒
天然記念物指定 なし(注4)
撮影年月日 2021年11月17日

注1)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による
注2)地表面から1.3mの高さで幹囲を実測
注3)2004年3月1日、益田郡内の4町1村が合併して下呂市となった。旧行政区は益田郡萩原町
注4)天然記念物ではないが諏訪城跡は岐阜県指定史跡であり、また県の緑地環境保全地域にも指定されているので、このスギも間接的に保護されていると考えてよいのではないか





 合併前の旧萩原町中心部、JR高山本線飛騨萩原(ひだはぎわら)駅の西方250mほどのところに、かつて金森長近(かなもりながちか、1524〜1608)が築いた諏訪城(萩原諏訪城)があった。
 城が築かれる前、ここには諏訪神社があった。神社を遷座させて、高山城の支城としたのである。城の立地場所としてここが適していたのだろう。(「諏訪城」の名前は諏訪神社と無関係ではあるまい)
 一国一城令が出た後も諏訪城は「旅館」として使用されていたようだが、元禄5年(1692)に金森氏が出羽国上山に移封されたのを機に破却。宝永6年(1709)には諏訪神社が旧地に戻り、今日に続いている。(萩原町観光協会が設置した案内板より)
 諏訪城から諏訪神社に戻り、今は全部が森と言ってよいほど、緑濃い社叢を持つ。
 戦国時代末期に築かれた城には、大きな樹木など無かっただろうと思われる。それまでの諏訪神社境内の樹木はみな伐られた可能性が高い。現在の緑を形成しているのは、それ以後に生を受けた木々であろう。
 境内をざっと見渡したところ、左図のスギが最も大きいようだ。環境省巨樹データベースで幹囲485cmとされているのがこれだと思われる。拝殿に向かって左奥に立つ。
 フォローアップ調査から20年と少しを経て、実測値は517cm。
 今も着実に生長し続けているようだ。
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