ページタイトル:願船寺のイチョウ サイトのシンボル

画像:願船寺のイチョウ_1

画像:願船寺のイチョウ_2
 背面には空洞が開く
名称 願船寺のイチョウ (がんせんじのいちょう)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 イチョウ
樹高 20m(注2)
目通り幹囲 6.8m(注2)
推定樹齢 伝承700年(注2)
所在地の地名 茨城県那珂郡東海村石神外宿(いしがみとじゅく)
 
〃 3次メッシュコード 5440−54−76
 
〃 緯度・経度 北緯36度29分12.3秒
           東経140度34分26.9秒
東海村指定天然記念物(1983年4月20日指定)
撮影年月日 2008年3月1日

注1)1983年5月に東海村教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による





 国道6号が久慈川を渡る榊橋の南東900mほどのところに、真宗大谷派華輪山真風院願船寺がある。親鸞聖人24輩の一人、定信に因むお寺である。
 山門の先、本堂の左手前に、1本の大イチョウが立っている。寺では親鸞聖人のお手植えと伝えているようで、伝承樹齢もそれに近い。雌株だという。
 主幹の一面が縦に大きく裂けて、空洞が外に開いているが、樹勢は良さそうだ。剪定は受けているものの、いまだ多くの大枝を残している。
 願船寺からほど近い日本原子力研究所に勤めておられた新妻久郎氏が著した「親鸞聖人二十四輩巡拝」(朱鷺書房)によると、願船寺の前身は願泉寺と号する天台宗の寺で、建保2年(1214)には近江国三井寺(園城寺)から安信法印を迎え、常陸国主の祈願所であったらしい。
 承久元年(1219)、安信は霊夢によって親鸞に出会い、聖人の弟子となって定信の法名を賜った。2年後の承久3年、親鸞は阿弥陀寺を建立して定信に譲り、定信はそこを出発点に教化に励んだらしい。このような経緯があって、阿弥陀寺と願船寺のいずれもが、二十四輩の第14番とされているようだ。
 なお、これも同書によれば(一部をそのまま引用)、願泉寺に参詣した水戸光圀が、「ああ、無明の大夜には無漏の恵燈あり、難波の苦海には四十八の願船あり、然れば願泉寺の泉の字をあらためて船という字を書くべし」と命じたと言われているという。
 
ボタン:茨城県の巨木リストに戻る ボタン:トップページに戻る