ページタイトル:乗丹坊の木ざしザクラ 当サイトのシンボルマーク

画像:乗丹坊の木ざしザクラ 名称 乗丹坊の木ざしザクラ
    (じょうたんぼうのきざしざくら)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 エドヒガン
樹高 12m(注2)
目通り幹囲 5.1m(注2)
推定樹齢 伝承800年(注2)
所在地の地名 福島県耶麻郡磐梯町磐梯字数万堂(すまんどう)
 〃 3次メッシュコード 5639−27−79
 〃 緯度・経度 北緯37度34分08.4秒
           東経139度59分12.3秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2021年4月16日

注1)高札形の新しいもの(設置者名・設置年月とも不詳)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による





 東北に腰を据えて活躍した僧に徳一(とくいつ)がいる。日本仏教の大きな源流を作り出した二人の巨人、最澄と空海がともに注目するほどの著名な僧だったようだ。
 その徳一が創建した寺の一つが恵日寺(えにちじ。正式には慧日寺)である。恵日寺には徳一の墓と伝える石塔もある。
 寺僧300,子院3800を数えるほどの隆盛を誇った時代もあった(Wikipediaによる)が、度重なる火災で衰退し、明治の廃仏毀釈で廃寺となってしまった。現在、その跡地は「慧日寺跡」として国指定史跡。(現存する恵日寺は明治37年(1904)に再興された寺)
 平安時代後期、恵日寺は、越後から会津にかけて支配地を持っていた豪族城(じょう)氏と結びつきを強める。源平合戦が始まると、城氏は平家側につき、城長茂(じょうながもち)が信濃国で木曾義仲と戦った際には、恵日寺衆徒頭乗丹坊も兵を引き連れて参戦した。しかし、負け戦となって、乗丹坊は戦死。
 その乗丹坊が挿した枝が根付いてこの桜になったとする伝承があり、それが「木ざしザクラ」と呼ばれる所以である。
 ちょうど満開の頃に訪ねた。
 かなりの老木である。多くの支柱でささえられ、修復の痕も目につく。しかし樹勢は悪くないようで、数多くの花を満載していた。花の美しさは年齢とは無関係らしい。(あやかりたいものだ)
 なお、明治の廃寺後、この地は磐梯神社の境内となったため、福島県総合緑化センター刊「緑の文化財」では、この桜を「磐梯神社の木ざしザクラ」の名前で紹介している。
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