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名称 永安寺の雲竜の松
(えいあんじのうんりゅうのまつ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 クロマツ
樹高 5m(注2)
目通り幹囲 3.7m(注2)
推定樹齢 300年(注3)
所在地の地名 愛知県安城市浜屋町北屋敷
〃 3次メッシュコード 5237−30−88
〃 緯度・経度 北緯34度59分12.6秒
東経137度06分12.7秒
愛知県指定天然記念物(1985年11月25日指定)
撮影年月日 2008年2月10日
注1)安城市教育委員会が設置(設置年月不詳)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 東海版」による
注3)上記案内板による
曹洞宗永安寺の簡素な山門を潜ったすぐ先に、背の低い大松が枝を伸ばしている。
目通りは、旧環境庁資料や案内板では3.7m。安城市の公式インターネットサイト上では3.1m。20%ほどの差がある。
それもそのはず、そもそも地上1.3mの高さには、測るべき幹が無いのである。
ご覧のように、低い位置で全ての幹が水平方向に向かい、どれを主幹と呼ぶべきか迷ってしまう。(「雲竜の松」の名称は、この姿を、雲を得て天に昇ろうとする竜の姿に見立てたもの)
ところで、案内板によれば、永安寺は、当地の庄屋柴田助太夫なる人物と関係が深いらしい。(案内板には「霊をまつる寺」だとあった)
助太夫は、延宝5年(1677)、村の人々のために、助郷役の免除を願い出て刑死したと伝えられる人物である。
助郷(すけごう)とは、宿場機能を補助するため、人馬の提供を義務づけられた村のことである。多少の駄賃は支払われるのだが、とても労働に見合うものでなく、また農繁期でもお構いなしに提供を要求されるため、農民への負担は大きかった。(なにしろ、高校生時代は歴史の劣等生だったため、この部分については、学問的な意味での正確さに自信なし)
このマツは、助太夫の家の庭にあったとも、寺の創建時に植えられたものだとも言われ、真相は不明のようだが、この地の人々は、昇天する竜の姿に、生命を賭してまで村人を助けようとした助太夫の高貴な精神を重ねて見てきたのではあるまいか。 |
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