ページタイトル:江美神社のケヤキ サイトのシンボル

画像:江美神社のケヤキ 名称 江美神社のケヤキ (えびじんじゃのけやき)
名称の典拠 なし
樹種 ケヤキ
樹高 30m(注1)
目通り幹囲 5.8m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 鳥取県日野郡江府町江尾(えび)
 
〃 3次メッシュコード 5233−73−39
 
〃 緯度・経度 北緯35度16分59.8秒
           東経133度29分12.4秒
天然記念物指定 不明
撮影年月日 2009年4月10日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」による





 町役場の西に江美神社があり、境内に、このケヤキが立っている。
 江美神社は、天暦(947〜57)の頃の創建と伝え、はじめは磐船神社、のち王子権現と称した。領主が幾たびか代わっても、その都度尊信を受けて、今日まで続いたようだ。明治6年(1873)、江尾神社となり、大正4年(1915)には現在地に遷座、江美神社と改めた。(平凡社「鳥取県の地名」による)
 道を挟んだ反対側の高台は江尾城(江美城)の跡。
 4代続いた国人蜂塚氏の居城で、現在の夏祭り「江尾十七夜」は、蜂塚氏が盆の17日夜に城内を開放、無礼講で盆踊りや相撲大会を行ったのが起源という。領主と領民の間には気持ちの通い合いもあったのだろう。
 それが、毛利と尼子の争いに巻き込まれ、永禄7年(1564)8月6日、毛利一族吉川元春方の杉原盛重軍から激しい攻撃を受けて落城。城主蜂塚右衛門尉義光は自害。数百人が殺戮されたという。
 江美神社のあたりには侍屋敷があったようだが、蜂塚氏滅亡後、この土地はどうなったのだろうか。
 ケヤキが生を受けたのは、戦さが終わった後の時代のように思われる。
 
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