ページタイトル:嶽八幡宮のモミ 当サイトのシンボルマーク

画像:嶽八幡宮のモミ(幹と並ぶ) 名称 嶽八幡宮のモミ (だけはちまんぐうのもみ)
名称の典拠 なし
樹種 モミ
樹高 不明
目通り幹囲 5.2m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 青森県上北郡七戸町高屋敷
 〃 3次メッシュコード 6141−01−20
 〃 緯度・経度 北緯40度41分13.9秒
           東経141度07分30.5秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2022年7月26日

注1)地表面から1.3mの高さで実測





 青森港近くに河口を開く駒込川(こまごめがわ)は、上流部に田代平(たしろたい)と呼ばれる湿原を作っている。その湿原を東西から見おろすのが八甲田山(はっこうださん、1585m)と八幡岳(はちまんだけ、1020m)だ。
 八幡岳は昔、雄嶽(おだけ)と呼ばれていた。
 延元3年(1338=暦応元年)の春、南東方向から一条の光が輝き続けたので、西野(せいの、注2)の孫左衛門が見届けに行ったら、頂上の白樺に鏑矢があった。持ち帰って奉祀していたところ、15歳の息子孫四郎に「我は八幡大神である。我を雄嶽に奉祀せば国家太平五穀成就疑いなし」という託宣があったので頂上に祀ることにした。以来、雄嶽は八幡岳と呼ばれるようになった(注3)。
 その後、山頂の神社から御神体や宝物が略奪されるのに困った人々は、明治2年(1769)、現在地の高屋敷に拝殿を造営して神宝などを移し、同6年(1873)には、それまでの上川目神社の名を嶽八幡宮に改めた。
 以上は、嶽八幡宮の宮司さんからいただいた紙片に書かれていた内容の概略である。
 私が訪ねたのは朝の7時頃。日はもう十分高く昇っていたのだが、今の時代、この時間に屋外で行動する者は少ないようで、不審者と思われたのかも知れない。熟年男性から声を掛けられた。(あとで宮司さんだと分かった)
 訪ねた理由を説明すると、とても歓迎して下さって拝殿の中に入れて下さり、いろいろ説明して下さった。(感謝)
 6月15日の例大祭では、前日午後3時頃から神事を行い、その日のうちに氏子代表が御神体を背負って八幡岳に登る。その晩は山頂の祠で「おこもり」をして、翌日下山し嶽八幡宮に帰るのだそうである。
 昔は、故事に因んで、15歳を迎える若者たちが主役だった。一週間前から身体を清め、馬立場から先は新しい草鞋(わらじ)に履き替えて登った。参拝を済ませての帰路、サイノカミまで来ると、木の鉤(かぎ)をホオノキの枝に向かって後ろ向きに投げ、掛かった枝の向きから、自分の嫁がどの方向から来るか占うのが慣わしだったらしい。
 嶽八幡宮を辞す際、ここにあるのは拝殿だけで、本殿は八幡岳山頂にある。360度の展望が見事だから貴方も登ってみるか、と誘われた。予定が詰まっていたので遠慮したが、できることなら登ってみたかった。(かなり高い所まで車で行けるようだ)
 さて、モミの木だが、拝殿のすぐ手前、向かって右に立っている。
 ご覧のように、左螺旋を描く幹模様が特徴。樹高が高く、樹勢も良さそうだ。
 根元も肥大し始めている。これから、樹姿にはさらに威厳が加わってゆくものと思われる。

注2)高屋敷の西南西にある集落
注3)西野から見ると雄嶽は西に当たる。鏑矢を見つけた「頂上」は雄嶽とは別の山なのだろう
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