ページタイトル:大覚寺のビャクシン 当サイトのシンボル

画像:大覚寺のビャクシン_1

画像:大覚寺のビャクシン_2
名称 大覚寺のビャクシン (だいかくじのびゃくしん)
名称の典拠 なし(注1)
樹種 ビャクシン
樹高 15m(注2)
目通り幹囲 5.8m(注2)
推定樹齢 400年以上(注3)
所在地の地名 山口県阿武郡阿武町奈古
 〃 3次メッシュコード 5131−63−08
 〃 緯度・経度 北緯34度30分26.8秒
           東経131度28分33.7秒
山口県指定天然記念物(1966年6月10日指定)
撮影年月日 2011年8月19日

注1)天然記念物指定名称は「大覚寺のビャクシン巨樹」
注2)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による
注3)慶長15年(1611)に境内を整備した際、西方約2kmの土崎海岸に自生していたものを移植したのでないかと考えられている(「山口県の文化財」による)





 阿武町々民センターの北方山裾に、曹洞宗補陀山大覚寺がある。
 平凡社「山口県の地名」から孫引きすると、延宝2年(1674)に記された縁起が残されているようだ。それには、長久3年(1042)創建。当初は光応寺(こうおうじ)と号して真言宗だったが、元亀元年(1570)、曹洞宗に転じた。慶長15年(1610)8月28日、当地奈古で没した尼子義久(あまごよしひさ)を光応寺の裏山に葬ったのを機に、その戒名円心大居士に因み、大覚寺と寺号を改めた。のち、弟の尼子秀久も大覚寺に葬られている。
 大覚寺の参道を進むと、本堂の手前、両側にビャクシンの古木が立っている。
 左図は、向かって右手の個体である。根元から3幹に分かれている。
 上記の幹囲データは、このような場合、それぞれの幹囲を測って合算するという環境省が定めた測定要項に則った値である。実際に見た感じでは、もっと細い。最大幹でも、3mに届きそうもない。
 しかし、古木としての風格はなかなかのものである。居場所柄、庭園に植えられた樹木のように見えるよう、自らを律しているようにも思われた。
 観音堂のすぐ横の小道を登ると、尼子義久の墓がある。何につけ、偉大だった父晴久と比べられ、自らの無力に歯がゆいことも多かったであろう。最後は毛利氏の軍門に降ることになったが、その後も、数え71歳まで生きた。
 その墓の近くから、寺全体が見渡せる。
 ビャクシンの樹冠もよく見える。青々と元気の良い色をしていた。
 
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