ページタイトル:大宝寺のアコウ ロゴ:人里の巨木たち

画像:大宝寺のアコウ 名称 大宝寺のアコウ (だいほうじのあこう)
名称の典拠 なし
樹種 アコウ
樹高 11m(注1)
目通り幹囲 5.4m(注1)
推定樹齢 100〜199年(注1)
所在地の地名 長崎県五島市玉之浦町大宝(注2)
 〃 3次メッシュコード 4828−75−12
 〃 緯度・経度 北緯32度36分05秒
           東経128度39分14秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2015年3月28日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注2)2004年3月1日、1市5町が合併して五島市誕生。旧行政区は南松浦郡玉之浦町





 遣唐使船が唐からさまざまな文物を伝え、それによって日本文化が大きな影響を受けたことは、誰もが知る事実であろう。
 遣唐使が全部で何回派遣されたかについては諸説あるらしいが、無事に海を渡りきれなかったことも度々あるようだ。当時の船の構造や規模、航海技術を考えれば、大きな危険を伴う冒険であったのは間違いないことで、悲運の人々の無念を思うと同情を禁じ得ない。
 初期の頃は、朝鮮半島沿いに進む比較的安全な航路を選んでいたようだ。しかし、新羅が唐に反目してからはこのルートをとれなくなった。後期の派遣では、東シナ海を直接横断するしかなかったようだ。その場合、福江島が大陸に向かう遣唐使船の寄港地となったらしい。遣唐使一行にとって、ここが最後に踏む母国の地だったのである。
 三井楽にある道の駅が「遣唐使ふるさと館」と名付けられたのも、そんな事実に拠るのだろう。
 福江島の南西部、大宝浦に面した高野山真言宗弥勒山大宝寺も、遣唐使船に乗って唐から帰った空海がここに滞在したことがあると伝えている。
 大宝寺境内、本堂から奥の院に向かう途中に、左図のアコウが立つ。
 タブノキに巻き付いている。タブノキは、まだ辛うじて生きているけれども、いずれ、アコウに絞め殺される運命にある。
 可哀想だが、これも自然界の営みの一つだ。自立栄養生物でないヒトが偉そうなことは言えない。
 もちろん、このアコウもタブノキも空海を見たことはないであろう。(そもそも福江島に、遣唐使時代を知る樹木はないだろうと思われる)
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