ページタイトル:長福寺の槙 ロゴ:人里の巨木たち

画像:長福寺の槙_1

画像:長福寺の槙_2
名称 長福寺の槙 (ちょうふくじのまき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 イヌマキ
樹高 10m(注2)
目通り幹囲 4.8m(注2)
推定樹齢 伝承1200年(注2)
所在地の地名 千葉県いすみ市下布施(注3)
 〃 3次メッシュコード 5240−62−88
 〃 緯度・経度 北緯35度14分13.7秒
           東経140度21分28.8秒
千葉県指定天然記念物(1935年12月24日指定))
撮影年月日 2014年5月17日

注1)1996年8月30日に旧大原町教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(U)」による
注3)2005年12月5日、夷隅(いすみ)郡内3町が合併していすみ市誕生。旧行政区は夷隅郡大原町





 ビャクシンのような枝振りの、とても美しいイヌマキである。天台宗硯山無量寿院長福寺の前庭に立っている。
 千葉県教委の公式ウェブサイトに、このイヌマキに関する面白い伝説が紹介されている。
 石橋山の戦に敗れた源頼朝が安房国に逃れ、一時勢力を養った。その際、当地布施城主平広常が従わなかったため、布施城を攻め落とした。敗兵を追って長福寺まで来たが、兵は見えず、勝利を確信した頼朝は長福寺に寺領を寄進し、山号を授けようと墨を磨(す)りだしたところ、1頭の駿馬を見つけたので「磨墨(するすみ)」と名付けて愛馬とした。そのとき、筆をこのイヌマキの枝に掛けたことから「筆掛の槙」と呼ばれるようになった。
 何とも唐突な内容だが、伝説にはそのような話が多いものだ。イヌマキの傍らには、「通称筆かけ乃槙」と大書した石碑も建っている。
 因みに、頼朝が授けたという山号は、上述のように「硯山(けんざん)」である。硯がすずりであることは言うまでもあるまい。(実は、この場所の地名も硯(すずり)である。また、山号の由来について、長福寺でいただいたパンフレットでは、当寺で平家追討の書状を認(したた)めた際、寺が差し出した硯が素晴らしかったので、ということになっている)
 余談だが、長福寺は「波の伊八」の欄間彫刻でも知られる。ついでに拝観されては如何だろうか。(要拝観料)
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