ページタイトル:チョウエン坊塚のイチイ 当サイトのシンボルマーク

画像:チョウエン坊塚のイチイ_1


画像:チョウエン坊塚のイチイ_2
名称 チョウエン坊塚のイチイ
    (ちょうえんぼうづかのいちい)
名称の典拠 天然記念物指定名称
樹種 イチイ
樹高 7m(注1)
目通り幹囲 4.1m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 青森県上北郡おいらせ町阿光坊(あこうぼう)(注2)
 〃 3次メッシュコード 6041−73−20
 〃 緯度・経度 北緯40度36分22.1秒
           東経141度22分39.5秒
おいらせ町指定天然記念物(1986年11月17日指定)
撮影年月日 2022年7月25日

注1)「青森県 里山の巨樹・古木マップ(天然記念物編)」による。環境省巨樹データベースは幹囲を584cmとしているが実感とはほど遠い(最大幹99cm)
注2)2006年3月1日、上北郡内の2町が合併して「おいらせ町」誕生。旧行政区は上北郡下田町





 奥入瀬川(おいらせがわ)左岸、東北新幹線が奥入瀬川を渡るあたりが阿光坊である。
 何か謂われのありそうな地名だが、由来についての定説はないらしい。ただし口伝はあって、それによれば、南北朝時代にあった阿吽寺(あうんじ)の「吽」が「呼」と間違われて阿呼寺(あこうじ)になった。さらに同音の阿光寺と書かれるようになり、お寺には坊さんがいることから阿光坊に変じたというのである。(デーリー東北新聞社ウェブサイトより)
 にわかには信じがたい話だが、ここが古くから重要な場所であったことは間違いない。近年、集落北側の丘陵に7世紀前半から9世紀末にかけての古墳が100基以上も眠っていたことが分かったからである。
 発見の経緯が面白い。
 昭和62年(1987)、耕作者がたまたま勾玉を発見。翌年から平成2年(1990)にかけて当時の下田町教育委員会が発掘調査をしたところ、14基の古墳が見つかった。長い間に墳丘が平らに均されてしまっていたため、ここに古墳があったとは誰も知らなかったのである。
 その後の大規模発掘でさらに多くの古墳を発見、平成19年(2007)に国指定史跡となった。
 標記のイチイが立つチョウエン坊塚は集落内にあって国指定史跡には含まれていないのだが、お訪ねになる時は阿光坊古墳群を目指すのがよいと思う。古墳見学者用駐車場から100mほどの距離だからである。(私も駐車場を利用させていただいた)
 塚の頂部にイチイが立つ。
 株立ちのイチイで、最大幹でも幹囲は1m未満。「巨木」という感じはしない。
 案内板には8本とあったが、大小合わせて11本の幹を数えた。
 しかし大半は既に枯死していて、まだ生きていることが確実なのは2本だけ。それも一部の枝が葉をつけているのみ。危機的な状況である。
 いつまでこの姿を保ってくれるものか。
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