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十本杉に至る歩道 |
名称 智満寺の十本杉 (ちまんじのじっぽんすぎ) 名称の典拠 現地の案内板(注1) 樹種 スギ 所在地の地名 静岡県島田市千葉(一部は相賀) 〃 3次メッシュコード 5238−21−62 〃 緯度・経度 北緯34度53分35秒 東経138度09分32秒付近に散在 国指定天然記念物(1964年6月29日指定) 撮影年月日 2005年12月25日 注1)智満寺から千葉山頂奥の院に至る歩道入口に、島田市教育委員会が設置(設置年月不詳) 千葉山智満寺は、宝亀2年(771)開創といわれる天台宗の古刹。開山は広智。光仁天皇より智満寺の勅額を得て勅願寺となった。源頼朝が源氏再興を祈願して果たし、千葉介常胤に命じて、伽藍を造営させたという。(現本堂は1589年の再建で国重文) また勧学道場としても知られ、円秀による教典の注釈書は「千葉円秀本」として広まった。 規模においても内容においても充実を見た名刹なのである。 背後の千葉山頂(496m)近くに奥の院があり、最近までそのあたりを中心に、山内に10本の大杉が散在していた。残念ながら、そのうち子持杉は台風で倒れ、今は痕跡すら認めがたい。また最大木であった開山杉は形骸を残すのみである。 以下は、開山杉を含む9本のプロフィールである。(もともと技術が未熟なうえに、冬の夕刻で光線の具合が悪く、お粗末な写真しか撮れなかった) |
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名称 大杉(おおすぎ) 樹高 40m(注2) 目通り幹囲 9.5m(注2) 推定樹齢 不明 注2)境内の案内板による(以下のスギたちも同様) 現存する十本杉のなかでは最大の幹囲を有する。 山道を登り詰めたところ、奥の院の近くに立っている。 |
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名称 達磨杉(だるますぎ) 樹高 30m 目通り幹囲 7.0m 推定樹齢 不明 根が太く、達磨さんに似ているというのが命名の理由らしい。私が手を添えた点から1mほど上、少し盛り上がった部分が、うつむいた頭部だろうか。(違うのかも知れない) 大杉の近くに立っている。 |
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名称 開山杉(かいさんすぎ) 倒壊前の樹高 不明 〃 目通り幹囲 11m 推定樹齢 伝承1200年以上 智満寺開山の広智が手植えたと伝承されている。 奥の院のすぐ横に立っていたが、いまはこのとおり。幹であった一部が、かつての記憶をとどめるのみ。 |
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名称 盛相杉(もっそうすぎ) 樹高 40m 目通り幹囲 7.8m 推定樹齢 不明 盛相という名の行者が植えたと伝えられている。 開山杉と奥の院の間の小径を相賀側へ少し下ったところに立っている。 |
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名称 一本杉(いっぽんすぎ) 樹高 45m 目通り幹囲 8.5m 推定樹齢 不明 十本杉のなかで最も樹高が高い。 盛相杉からほぼ水平に南の方へ進んだところに立っている。 |
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名称 経師杉(つねもろすぎ) 樹高 36m 目通り幹囲 7.3m 推定樹齢 不明 千葉太郎経師が植えたと伝承されている。が、浅学にしてこの人物のことを知らない。 一本杉から相賀(おおか)側に、さらに少し下がったところに立っている。 |
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名称 常胤杉(つねたねすぎ) 樹高 30m 目通り幹囲 7.2m 推定樹齢 伝承800年 千葉常胤(1118〜1201)の手植えと伝えられている。 一本杉から千葉山頂方面に上ったところ、稜線近くに立っている。根元近くから縦に大きな裂け目が伸びている。樹勢が心配。 |
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名称 雷杉(かみなりすぎ) 樹高 36m 目通り幹囲 8.5m 推定樹齢 不明 樹形が、雷神の怒りの形相に似るゆえの命名という。 常胤杉のすぐ横に立つ。そのまま少し水平移動すると奥の院に戻る。 |
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名称 頼朝杉(よりともすぎ) 樹高 36m 目通り幹囲 9.7m 推定樹齢 伝承800年以上 源頼朝(1147〜1199)の手植えと伝えられている。 このスギだけが、他と大きく離れ、本堂前から山道に入ってすぐ、薬師堂の背後に立っている。 目通りの9.7mは、ちょっとオーバー過ぎるのではないだろうか。 追記)2012年9月2日に倒壊してしまったようだ。 |
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