ページタイトル:文武館跡のケヤキ サイトのシンボル

画像:文武館跡のケヤキNo.2
 目通り6.2m



画像:文武館跡のケヤキNo.1(幹と並ぶ)
 目通り7.7m
名称 文武館跡のケヤキ
    (ぶんぶかんあとのけやき)
名称の典拠 天然記念物指定名称
樹種 ケヤキ
樹高 30m/23m(注1)
目通り幹囲 6.2m/7.7m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 茨城県久慈郡大子町大子
 
〃 3次メッシュコード 5540−12−28
 
〃 緯度・経度 北緯36度46分19.9秒
           東経140度21分13.0秒(注2)
茨城県指定天然記念物(2002年12月25日指定)
撮影年月日 2008年3月1日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による。いずれも前者が上図、後者が下図の個体のデータ
注2)これは最大のケヤキ(左下図)の位置





 大子小学校のグラウンドの端に、3本の大ケヤキが立っている。3本は現在の校舎から垂直に引いた直線上に並び、校舎に近い個体が最も細く、遠い個体が最も太い。真ん中の個体のみ、小山の上に立っている。
 昭和50年(1975)9月12日、3本を一括して「文武館跡のけやき群」の名で、町の天然記念物に指定された。そして、その後、写真の2本が、上記の通り、平成14年に県の天然記念物となった。
 ここにはかつて水戸藩の郷校であった文武館があった。もちろん、ケヤキは、その頃から立っていたはずである。
 先に、中央のケヤキは小山に立つと書いたが、ケヤキの立つ位置や小山の形状から想像するに、この小山は人工的に築かれたのではないと思われる。
 このあたりは、もともと、自然のままに緩やかに起伏する、いわば学校の裏山だったのでなかろうか。それが後世の学校の近代化政策で、グラウンドのために広い水平面が必要になり、整地された。その際に、起伏の一部が残されたのではなかろうか。
 文武館の遺跡として、「文武館文庫」(町史跡)が1棟残されているが、ケヤキの立つ位置より一段低い水平面に建っている。そんなことも私の想像を裏付けているように、勝手に思っているのだが、あるいは見当違いかも知れない。
 訪れたのは、授業の邪魔にならぬよう考えて、土曜日。警備員さんに撮影の許可を得ようと玄関に向かったら、先生が数人、休日出勤しておられた。そして、教頭先生が、仕事の手を休め、わざわざケヤキまで案内して下さった。
 お忙しいなかを、時ならぬ訪問者のために余計な仕事まで作ってしまい、申し訳ない気持ちもあったが、とても嬉しかった。

 ケヤキは細いロープで遮られ、近づくことが出来ない。でも、よく見ると、小さな足跡がいくつか見える。いつの時代にもやんちゃな子がいるのだ。
 教頭先生がおっしゃるには、大人が思うほど、子供は大ケヤキに関心を示さないそうである。
 故郷の風景と同じで、離れてはじめて、その大切さに気づくのかも知れない。
 
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