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参道入口を振り返って見る |
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名称 菩提林のスギ (ぼだいりんのすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 不明
目通り幹囲 6.3m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 福井県勝山市平泉寺町平泉寺
〃 3次メッシュコード 5436−04−42
〃 緯度・経度 北緯36度02分36.6秒
東経136度31分26.4秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2021年11月6日
注1)地表面から1.3mの高さにおける幹囲を実測
石川・岐阜県境に聳える白山(はくさん、2702m)は古くから知られる信仰の山である。白山に降った雨はそれぞれ、庄川(しょうがわ)となって富山県を、手取川となって石川県を、九頭竜川となって福井県を、長良川となって岐阜県を潤す。実りをもたらす、まさに恵みの山である。
登拝者も多くいて、加賀・越前・美濃の3つの禅定道(ぜんじょうどう)ができた。
当時の登山は今日と違い、修行であった。禅定道の入口は馬場(ばんば)と呼ばれ、修行の始まりを意味し、里宮も作られた。加賀の里宮が白山比刀iしらやまひめ)神社であり、美濃は長滝白山神社、そして越前は平泉寺が別当として管理運営を行った平泉寺白山神社である。
Wikipediaによると、白山頂上本社の祭祀権を巡って、白山寺、長滝寺、平泉寺の3別当寺が争ったらしい。寛文8年(1668)に白山麓は幕府の公儀御料となり、越前の平泉寺が祭祀権を獲得することで決着したようだ。3つの禅定道の中では越前からのルートが最も短く、このルートの参詣者が一番多かったらしいから、当然の裁定だったのかも知れない。(明治新政府の神仏分離政策により別当寺は廃された。そして明治5年に山頂の所有権は白山比盗_社に移り、今日に至っている)
長々と書いたのは、廃仏毀釈で姿を消した天台宗霊応山平泉寺がいかに大きな力を持つ寺だったか知っていただきたいからである。最盛期には僧坊6千、寺領9万石・九万貫、僧兵8千人を擁したと伝えられているという。(数値は菩提林入口の案内板による)
姫路城天守閣を模した(?)勝山城博物館の近くから白山神社まで約1.7kmの参道が続く。木立に囲まれた参道で、2車線幅ほどもある参道幅の広さから見ても往時の平泉寺の勢力の大きさが偲ばれる。(現在、そのかなりの部分で道幅の半分ほどはかつての石畳参道が残され、残る半分は自動車通行可能なアスファルト道路となっている(神社に向かって一方通行))
その参道の入口付近に大杉が林立する。それが「菩提林」だ。
左上図がそのなかの最大木。2本の合体木である可能性が高い。
入口向かって右のスギも大きい。単幹ではこれが最大と思う。(「少し大きめの画像」に写真あり)
自動車が通ると言っても、並走する広い道があるため、旧参道の通行量はごく少ない。大杉をご覧になったあと、古き時代に思いを馳せつつ、菩提林の先の石畳参道も歩いてみられたら如何だろうか。 |
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