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名称 地蔵寺のイチョウ (じぞうじのいちょう)
名称の典拠 なし
樹種 イチョウ
樹高 17m(注1)
目通り幹囲 5.1m(注1)
推定樹齢 200〜299年(注1)
所在地の地名 千葉県印西市別所
〃 3次メッシュコード 5340−51−83
〃 緯度・経度 北緯35度49分29.8秒
東経140度09分38.1秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2014年5月13日
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(U)」による
雨に霞む金龍山地蔵寺に、イチョウの巨木を訪ねた。
地蔵寺は天台宗に属し、地蔵堂本尊(秘仏)の木造地蔵菩薩立像は県指定文化財。鎌倉時代の作だそうである。当初からここに安置されていたとすれば、地蔵寺は少なくともそれ以前に開かれた寺ということになる。
イチョウは地蔵堂の右後方(むかって左奥)。
葉が密に繁り、枝振りを隠しているのでよくわからないのだが、多分、主幹を途中で切断。大枝も全て分岐点近くで切除する強剪定が行われた後、数年を経た姿と思われる。いつもながら、イチョウの生命力の強さには驚かされる。
話は変わるが、境内に「瞽女奉納手水石」がある。
蛇足ながら、瞽女(ごぜ)さんをご存じない方のために、その碑文の文言を借りて説明すると、「瞽女とは、室町時代以降に現れた三味線を弾き、歌をうたって渡世する盲女のことで、三人くらいが一組になり、祝儀歌、門付歌などをうたって歩き、夜は宿に入って「よせ」を行って人々を楽しませた」人たちのことである。視力を失った女性が生きて行く一つの道であったが、血の滲むような修行を伴う、大変な道だったと想像する。現在、瞽女として生活の糧を得ている人はいない(と思う)。
実は、私が住む新潟県上越市は、「最後の瞽女」として知られる杉本キクイさん(1898〜1983)が住んでいたところである。だから、瞽女に対して愛着を感じる市民が多い。
地蔵寺の手水石は、享和3年(1803)、当地別所村の瞽女キヨと若者中が願主になって奉納されたもののようだ。
まだ農村に娯楽が少なかった江戸時代後期、瞽女宿となる村の有力者の家に集って、瞽女歌を聞くのは大きな楽しみだったに違いない。
キヨは、特に人気の瞽女だったのかも知れない。 |
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