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名称 馬場町のタブの木 (ばばちょうのたぶのき) 名称の典拠 現地の案内板(注1) 樹種 タブノキ 樹高 15m(注2) 目通り幹囲 4.6m(注2) 推定樹齢 400年(注3) 所在地の地名 山形県鶴岡市馬場町 〃 3次メッシュコード 5839−06−66 〃 緯度・経度 北緯38度43分34.4秒 東経139度49分40.3秒 山形県指定天然記念物(1964年3月17日指定) 撮影年月日 2013年8月4日 注2)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による 注3)上記案内板による 鶴岡市中心部の交差点に立つタブノキ。市役所と消防署中央分署の間。 タブノキは本来、暖地系の植物である。ただしクスノキより耐寒性が強く、日本海側では石川県あたりまで、海岸近くにしばしば見られる。 山形県では珍しい樹種といえそうだ。それが天然記念物指定の理由の一つだと想像する。 タブノキが立つ場所は、かつての庄内藩家老服部瀬兵衛(はっとりせへえ)の屋敷跡らしい。日本海に浮かぶ飛島を検地した際、苗木を見つけて持ち帰り、庭木としたと伝えられているようだ。(山形県の公式ウェブサイトのひとつ「山形の宝」より) タブノキの近くに、南洲書「敬天愛人」碑があった。南洲は西郷隆盛の号、「敬天愛人」は彼の座右銘である。 戊辰戦争で庄内藩は新政府に敵対して善戦したが、明治元年(1868)に降伏。藩校到道館で藩主酒井忠篤と新政府軍の黒田清隆が会見した。 この会見が実に紳士的だったらしい。また戦後処理についても、会津など他の諸藩に比べ、庄内藩に対しては実に寛大だった。それには西郷隆盛の意向が大きく働いたということである。以来、この地に西郷人気が根付いたらしい。 会見の場とされた到道館は、道を挟んで斜め向かい。 そこではなく、石碑がタブノキの傍に設置されたのには、どんな理由があるのだろうか? |
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